組織の頂点に立つ人物にとって必要なものとは何だろうか。
アジテーション能力、統率力、学歴、容姿、人脈などもあるに越したことはない。 しかしそれらは全て二次的なものではないか、と私には思える。 私が思うに、組織を円満に統率するのに必要なものは、 いわゆる「カリスマ」ではないだろうか。 しかし、この「カリスマ」という単語も非常に曖昧としたものである。 上で挙げた学歴や要旨といったものが 付随されてこそ生まれるものかもしれないからだ。 が、そのおもな役割としては、人々の望む姿であり続けることが重要だと思われる。 傲岸不遜、謙虚、大胆不敵、そのようなトップに対して人々が求める要素は 数あろうが、それを苦ともせずに発揮する。それこそがカリスマでは無いか。 よって、このカリスマというものは生まれつき備わる天賦の才能であると考える。 後天的には決して身に付くことのない、いわゆる一種の 選ばれたギフテッドのような人物が持つものであると。 もちろん、並々ならぬ努力の結果として頂点に立ち、 人々の篤い信頼を受けているといった人もいるだろう。 しかしそれも、カリスマとは似て非なるが、 「カリスマを演じる」といった一種の天賦の才能ではないか。 「演じる」としたが、決して卑下しているわけではない。 むしろ、カリスマを持たない人物がそれを演じるということは 多くの苦難が伴うはずで、ある意味では「カリスマ」を持つ人物よりも 多大で非凡な才能を求められるかもしれない。 学校における委員長にしろ何にしろ、そういったものは「真面目一辺倒」な人間が 推薦されることが多い。しかし、それも悪手と思われるのである。 人々が抱く「真面目」な印象の人間など容易に演じることができるからである。 加えて「真面目」という評価は、決してその人間の能力などを見たものではない。 根底からの善良な人間ならともかく、私のような人間は演技をしているに過ぎない。 故に、こうした人間を頂点におくことは良い結果を生むことが少ないと思われる。 残念ながら、私には「カリスマ」も「カリスマを演じる」能力もない。 無論、組織の大きさやそこに所属する人物、組織の属する環境などによって 必要なものは流動的に姿を変えることは自明である。 なので、上記は今私が属するような、所詮「小さなコミュニティ」における 組織に対する一個人の考えに過ぎない。 PR
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